差別の歴史アーカイブ

明治維新以降の部落差別:解放令から現在に至る社会構造の変容と連続性

Tags: 部落差別, 日本近代史, 社会構造, 差別撤廃運動, 解放令

導入

本稿では、日本の近現代史において根深く存在してきた部落差別に焦点を当て、明治維新以降の歴史的経緯、法制度の変化、社会運動の展開、そして社会構造の変容と同時に見られる連続性について考察します。部落差別は、前近代の身分制度に起源を持つ差別が、近代国家形成や資本主義経済の発展といった社会変動の中でどのように再生産され、変容してきたのかを理解する上で、極めて重要な事例です。特に、社会学的な視点から、この差別が個人、集団、そして社会全体に与えた構造的な影響を深く掘り下げて分析することを目的とします。

事例の詳細と背景:解放令とその後の実態

部落差別の直接的な起源は、江戸時代以前に形成された被差別民に対する身分制度に遡ります。特定の居住地に隔離され、皮革業や斃獣処理、芸能など特定の職業に従事させられた人々は、「穢多(えた)」や「非人(ひにん)」などと呼ばれ、社会の最下層に位置づけられていました。

明治維新後の1871年(明治4年)、新政府は「解放令(賤民解放令)」を発布し、旧身分制度の廃止と被差別部落民の平民への編入を宣言しました。これは法制度上は画期的な変化であり、差別撤廃に向けた第一歩と位置づけられます。しかし、解放令は差別を禁じるものではなく、身分を廃止するのみであり、具体的な差別解消や生活改善のための措置は一切講じられませんでした。

解放令後も、被差別部落の人々に対する差別意識や慣習は社会に深く残り続けました。経済的には、旧来の生業が近代化の中で衰退する一方で、新たな産業への参入は困難であり、多くの人々が貧困にあえぎました。また、特定の居住地への居住の集中(いわゆる「部落」)は解消されず、地理的な隔離は継続しました。これにより、結婚、就職、教育などあらゆる面で差別が発生し、社会的な不利益が再生産される構造が維持されました。戸籍制度において、旧身分や出身地が記録されたことなども、差別の根拠として利用される一因となりました。公的な調査によれば、大正期においても被差別部落における貧困率や識字率は全国平均を大きく下回っていたことが示されています。

影響と波及:社会運動と行政対策

解放令以降も続く差別の現実に直面し、被差別部落の人々は自らの手で差別からの解放を目指す社会運動を展開しました。その代表的なものが、1922年(大正11年)に京都で結成された全国水平社です。水平社は「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という宣言のもと、徹底した自己解放と差別の告発、糾弾活動を行いました。彼らの運動は、被差別部落の人々の尊厳回復と連帯を促し、社会全体の差別意識に問いを投げかけるものでした。

第二次世界大戦後、民主主義の進展とともに、部落問題に対する社会的な関心と行政による対策の必要性が高まりました。同和対策事業(同対事業)は、被差別部落の生活環境改善や教育水準向上などを目的として、1969年(昭和44年)に「同和対策事業特別措置法」が制定されたことを契機に本格化しました。この事業により、道路、住宅、学校、福祉施設などのインフラ整備が進み、生活環境は大きく改善されました。

しかし、同対事業には光と影の両面がありました。インフラ整備が進む一方で、事業を巡る利権問題が発生したり、事業対象地域の指定自体が新たなスティグマを生んだりする側面も指摘されました。また、経済的・物理的な格差の一部は是正されても、人々の心に根付いた差別意識や、就職・結婚における差別といった社会的な障壁は容易には解消されませんでした。事業が終了した後も、差別落書き、インターネット上での差別的な書き込み、地名リストの流布など、新たな形態での差別が発生しています。

分析と考察

部落差別という事例は、前近代の身分制度が近代国家の形成過程でどのように再編・維持されたのか、また、法的な平等宣言が社会の実態としての差別撤廃に直結しないのはなぜかという問いを投げかけます。解放令後の差別は、単なる「過去の身分」に由来するものではなく、近代資本主義における労働力編成、都市化、地域構造、さらには国民国家における「国民」からの排除といった新たな社会的メカニズムの中で再生産された構造的な差別であると分析されます。

全国水平社の運動は、被差別の当事者自身が主体的に権利を主張し、社会変革を求めた重要な事例です。彼らの活動は、差別を生み出す社会構造や意識に対する批判であり、その後の様々なマイノリティ運動にも影響を与えました。

同対事業は、行政が特定の社会的課題に対して集中的に資源を投入することの可能性と限界を示しました。物理的な格差解消には一定の効果を上げた一方で、差別の本質である意識や社会関係性の問題には直接的に介入しきれず、また新たな問題を惹起する側面も持ち合わせていました。多くの研究が、同対事業が終了した現在もなお、結婚や就職における潜在的な差別意識や、インターネット空間での新たな差別といった形で、部落差別が厳然として存在することを指摘しています。これは、差別が単なる個人の偏見ではなく、社会の規範、制度、構造に深く根差していることの現れと言えるでしょう。

まとめ

明治維新以降の部落差別の歴史は、法制度の変革、社会運動の高まり、行政による対策など、多様なアクターによる複雑な相互作用の過程であったと言えます。解放令による法的な身分廃止はなされたものの、社会に根付いた差別意識や経済的な困窮は解消されず、新たな社会構造の中で差別は形を変えながら存続しました。水平社運動は、差別からの解放を目指す人々の主体的な力学を示し、同対事業は行政による問題解決の可能性と限界を明らかにしました。

現代においても、部落差別は様々な形で存在しており、その解消は依然として喫緊の課題です。この歴史的事例から学ぶべきは、差別が単なる過去の遺物ではなく、社会構造の中で再生産され、新たな技術や社会変化の中でその形態を変えうるダイナミックな現象であるということです。過去の経験を踏まえ、差別の構造を深く理解し、その克服に向けた継続的な努力が求められています。