日本の高度経済成長期における在日コリアンに対する差別とその社会構造への影響
導入
本稿では、日本の高度経済成長期(概ね1950年代半ばから1970年代初頭にかけて)に、在日コリアン(主に朝鮮半島にルーツを持つ人々)が日本社会において直面した差別について考察する。この時期の日本は急速な経済発展を遂げ、社会構造が大きく変容したが、その過程で特定のマイノリティ集団に対する差別がどのように顕在化し、彼らの生活や地位、さらには日本社会全体の構造にいかなる影響を与えたのかを分析することを目的とする。単なる歴史的事実の羅列ではなく、社会学的な視点から差別構造の特性と影響を深く掘り下げる。
事例の詳細と背景
高度経済成長期における在日コリアンに対する差別は、特定の単一事例としてではなく、社会生活の様々な側面で継続的に発生した構造的な問題として捉える必要がある。最も顕著な事例は、雇用、教育、住宅、社会保障などの領域で見られた。
歴史的背景としては、日本の朝鮮半島植民地支配(1910-1945年)がある。この期間、多くの朝鮮人が日本国内に渡航したが、終戦後も様々な理由から日本に留まることを選択した人々が在日コリアンの基盤を形成した。彼らの法的地位は、サンフランシスコ講和条約(1952年発効)により日本国籍を喪失し、「外国人」と位置づけられたことで不安定化した。これは、日本社会における彼らの権利や社会保障へのアクセスを根本的に制限する要因となった。
高度経済成長期に入ると、日本国内では労働力需要が高まった。しかし、在日コリアンは出身による差別から、正規雇用を得ることが極めて困難であった。多くの企業は国籍条項を設け、事実上在日コリアンの採用を拒否した。公務員への道も閉ざされ、大手企業への就職も限られていた。これにより、彼らは「3K」(きつい、汚い、危険)と言われるような厳しい労働条件の職種や、中小零細企業、あるいは自営業(焼肉店、パチンコ店など)に従事せざるを得ない状況に追いやられた。この結果、多くの在日コリアン世帯が相対的な貧困状態に置かれた。
教育においては、朝鮮学校に対する公的補助が限られ、日本の学校に進学しても就職差別の問題に直面した。また、通名使用の問題や学校内でのいじめなども見られた。住宅に関しても、賃貸契約や住宅ローンの利用が困難であり、特定の地域(いわゆるコリアタウンなど)への居住集中を招く一因となった。社会保障制度においても、一部の給付対象から除外されるなどの差別が存在した。
これらの差別は、単に個人の偏見によるものだけでなく、サンフランシスコ講和条約以降の法的地位の不安定化、企業の採用慣行、社会保障制度設計、教育政策など、当時の日本社会の法制度や社会構造に深く根差していた。
影響と波及
高度経済成長期における在日コリアンに対する差別は、彼らの生活とアイデンティティに深刻な影響を与えた。経済的な困難は世代を超えて継承され、社会的な上昇移動を阻害した。差別体験は、彼らの日本社会に対する帰属意識や、自身のルーツに対する複雑な感情を生み出す要因となった。また、通名使用は、差別を避けるための自己防衛策であると同時に、自身の民族的アイデンティティを隠さざるを得ないという苦痛を伴うものであった。
この時期、在日コリアンコミュニティ内部では、民族教育の維持・発展を目指す動きや、差別撤廃を求める社会運動が活発化した。これらの運動は、日本社会におけるマイノリティの権利保障という問題提起となり、その後の様々な市民運動や人権擁護活動に影響を与えた。また、日本政府や自治体、企業に対して、国籍による差別是正を求める動きが生まれ、一部では改善が見られた事例も存在する(例えば、地方公務員採用における国籍条項の撤廃に向けた動きなど)。
分析と考察
高度経済成長期における在日コリアンに対する差別事例は、経済発展という国家的な目標達成の過程で、特定のマイノリティ集団がどのように位置づけられ、構造的な排除の対象となりうるかを示す典型例である。この時期の差別は、以下のような社会学的視点から分析可能である。
第一に、これは構造的差別の一例である。個人の偏見に加えて、法制度(国籍条項、社会保障制度)、経済システム(企業慣行)、社会慣行(教育、住宅市場)といった社会の基本的な構造に組み込まれたメカニズムが、特定の集団を不利な立場に追いやった。
第二に、ナショナリズムと国民統合との関連性である。高度経済成長期は「一億総中流」意識が形成されるなど、強い国民統合が進められた時期でもあった。その過程で、「国民」の範囲から外れた「外国人」、特に旧植民地出身者である在日コリアンは、社会の外部として位置づけられ、排除の対象とされやすかったと考えられる。彼らは、日本の国民経済を支える労働力として利用されつつも、「国民」としての権利や恩恵からは切り離されていた。
第三に、セグリゲーション(分離)と特定地域への集中である。就職、住宅取得における差別は、在日コリアンが特定の地域に集中して居住することを促した。これにより、コミュニティの維持や相互支援は可能になった一方で、日本社会全体からの物理的・社会的な分離が強化され、さらなる差別の温床となる側面もあった。
既存の社会学研究は、マイノリティ集団の社会経済的地位に関する理論(例:ステータス・アットテインメント理論の応用)や、エスニシティと階級構造の関係、構造的差別に関する理論などを通じて、この時期の在日コリアンが経験した困難を分析している。これらの研究は、差別が単に個人の問題ではなく、マクロな社会構造や歴史的経緯に深く根差していることを明らかにしている。
まとめ
日本の高度経済成長期における在日コリアンに対する差別は、戦後の法的地位の不安定化を基盤とし、雇用、教育、住宅、社会保障など社会生活の様々な側面で構造的に展開された。この差別は、被差別当事者の生活に深刻な影響を与え、世代を超えた格差を生み出しただけでなく、日本社会におけるマイノリティの地位、国民統合のあり方、そして社会運動の発展に重要な影響を与えた。
この事例から学ぶべきは、急速な経済成長や社会変容の過程においても、特定の集団が構造的な差別の対象となりうるという点、そして法制度や社会慣行が差別の温存・再生産に果たす役割の大きさである。過去の差別事例を深く分析することは、現在の日本社会における様々な差別問題(人種・民族、ジェンダー、階級、障害など)を理解し、公正で包摂的な社会を構築するための重要な示唆を与えてくれる。