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日本社会における貧困スティグマの歴史的構造:社会保障制度、言説、社会的排除を巡る分析

Tags: 貧困, スティグマ, 社会保障, 社会的排除, 歴史, 社会学

日本社会における貧困スティグマの歴史的構造:社会保障制度、言説、社会的排除を巡る分析

本稿では、近代以降の日本社会において、貧困という状態そのもの、あるいは貧困状態にある人々に対して生じてきた社会的スティグマとその歴史的変遷、そしてそれが社会保障制度、社会構造、人々の意識に与えてきた影響について分析します。単なる経済的困窮に留まらない、貧困を巡る差別の歴史的構造を明らかにすることを目的とします。

事例の詳細と背景

近代以降の日本では、貧困に対する社会的な認識と対応は、時代ごとの社会経済状況や国家の政策、支配的な倫理観によって大きく変化してきました。

明治期においては、貧困は個人の怠惰や不徳に帰される側面が強く、国家による救済は限定的であり、「恤救規則」(1874年制定)に代表されるように、血縁・地縁に基づく相互扶助が基本とされました。この時期の貧困観念には、勤勉さや自助努力を重んじる価値観が強く反映されており、貧困は道徳的な問題として捉えられがちでした。これにより、困窮者は「救われるべき人々」であると同時に、「自助努力を怠った人々」という否定的なレッテルを貼られやすい状況が生まれました。

戦後、特に高度経済成長期を経て、「一億総中流」という意識が広がる中で、貧困は社会全体から見えにくくなりました。多くの人々が経済的に安定し、自らの努力によって生活が向上するという経験をする中で、貧困は「例外的な状態」あるいは「個人の選択や努力不足の結果」とみなされやすくなりました。この時期、生活保護制度は存在しましたが、申請の抑制や「水際作戦」といった運用上の課題が指摘され、制度利用に対する心理的・社会的な障壁が高い状態が続きました。生活保護受給者に対しては、「不正受給」といった特定の言説が強調され、社会的なバッシングの対象となることもありました。これは、貧困を社会構造の問題ではなく、個人の問題として矮小化する社会的な傾向と深く結びついています。

バブル崩壊以降の長期的な経済停滞とグローバル化の進展は、非正規雇用の拡大、賃金構造の多様化、終身雇用・年功序列の崩壊といった形で、従来の日本型雇用システムを大きく揺るがしました。これにより、安定した職に就けない、あるいは低賃金労働から抜け出せない人々が増加し、貧困は再び顕在化しましたが、同時に「自己責任論」がより一層強調される言説空間が形成されました。例えば、「ネットカフェ難民」「ワーキングプア」といった言葉は、新たな貧困の形態を可視化しましたが、同時にそれらの状態を「個人の選択ミス」として捉える論調も見られました。子どもの貧困率の上昇といったデータ(例えば、2015年の調査では子どもの貧困率が13.9%と報告されています)が示すように、貧困が個人の責任だけでは説明できない構造的な問題であることが明らかになってもなお、スティグマは根強く存在しています。

影響と波及

貧困に対するスティグマは、貧困状態にある人々の生活に多岐にわたる深刻な影響を与えます。

第一に、スティグマは社会保障制度、特に生活保護制度の利用を躊躇させる大きな要因となります。制度を利用することへの恥や罪悪感、あるいは否定的な評価を受けることへの恐れから、必要な支援にアクセスできない人々が生じます。これは「捕捉率の低さ」(制度対象者のうち実際に利用している割合)として表れる問題の一つです。また、制度利用者に対する偏見や差別的な態度は、窓口での対応、地域社会での人間関係など、日常生活の様々な場面で生じ得ます。

第二に、貧困スティグマは貧困状態にある人々の心理面に影響を与え、自己肯定感の低下、絶望感、社会からの孤立を深めることがあります。これは、困難な状況から抜け出すためのモチベーションや機会を奪うことにもつながりかねません。

第三に、貧困が世代間で再生産される構造を強化する可能性があります。貧困状態にある家庭の子どもが、経済的な制約だけでなく、親が感じるスティグマや社会的な偏見によって、教育や社会参加の機会を奪われたり、否定的な自己イメージを内面化したりすることがあります。

第四に、社会全体として貧困問題を構造的な課題として捉え、包括的な対策を講じることへの障壁となります。貧困を個人の責任とみなす言説が強い社会では、再分配機能の強化や社会保障の拡充といった政策提言が支持を得にくくなる傾向が見られます。

分析と考察

貧困スティグマの歴史的構造を分析する際には、いくつかの社会学的な視点が有効です。アーヴィング・ゴフマンのスティグマ論は、ある属性(この場合は貧困)が個人を「汚れたもの」として扱い、社会的に排除するプロセスを説明します。貧困という属性が、期待される社会的な規範(例:勤勉であること、経済的に自立していること)からの逸脱と見なされ、否定的なレッテル貼り(ラベリング)が行われることで、貧困者に対する差別的な態度や行動が生じ、それが制度や社会構造に組み込まれていくと考えられます。

また、ピエール・ブルデューの社会階層論における文化資本や社会資本といった概念も、貧困が単なる経済的困窮に留まらず、社会的なつながりや文化的資源の欠如と結びつきやすいことを示唆します。貧困によってこれら資本へのアクセスが制限されることが、さらなる社会参加の困難や孤立を招き、スティグマを強化する悪循環を生み出す可能性があります。

歴史的に見ると、日本の社会保障制度は「恩恵」としての側面が強調されやすく、「権利」としての側面が希薄であったという指摘があります。このような制度思想は、生活困窮者を「国や社会から助けてもらう人々」という受動的な存在として位置づけ、制度利用者に心理的な負い目やスティグマを感じさせやすい土壌を作ってきたと考えられます。

さらに、勤勉さを美徳とし、経済的成功を個人の努力の結果と強く結びつける日本の伝統的な価値観や、集団の調和を重んじる社会規範も、貧困者を「集団の規範から外れた者」「共同体の和を乱す者」として排除するメカニズムに影響を与えている可能性があります。

まとめ

近代以降の日本社会における貧困スティグマは、単なる個人的な感情や態度の問題ではなく、歴史的な背景、社会経済構造の変化、国家の政策、支配的な価値観や言説が複雑に絡み合って形成された構造的な現象です。貧困を個人の責任に帰する傾向が強い社会においては、スティグマが貧困状態にある人々の尊厳を傷つけ、必要な支援へのアクセスを妨げ、社会からの排除を深める深刻な結果を招きます。

この歴史的分析から学ぶべき点は、貧困問題を解決するためには、経済的な支援だけでなく、貧困に対する社会全体の認識を変え、スティグマを解消するための努力が不可欠であるということです。貧困を社会構造によって生み出される普遍的なリスクとして捉え、誰でも陥る可能性がある状況として認識し直すこと、そして社会保障制度を「権利」としてアクセスしやすいものに改革していくことが求められます。社会学的な視点からの分析は、このようなスティグマの構造と影響を明らかにし、より公正で包摂的な社会を構築するための議論に寄与すると考えられます。