近代日本における野宿者差別:都市空間、福祉政策、社会意識の歴史的変遷
導入:野宿者差別とは何か、その歴史的位置づけ
近代日本社会において、野宿者、あるいはホームレス状態にある人々に対する差別は、都市化と貧困問題が不可分に関連する形で顕在化し、社会構造、法制度、福祉政策、そして人々の社会意識に深く根ざした問題として存在してきました。本稿では、この野宿者差別の歴史的経緯をたどり、その背景にある社会経済的構造、関連する法制度や福祉政策の変遷、そしてそれらが社会意識に与えた影響を分析します。単なる貧困問題としてではなく、特定の生活状態にある人々に対するスティグマ付与と社会からの排除という差別の構造として、本問題をとらえ直すことを目的とします。
事例の詳細と背景:近代化と都市貧困の進展
近代日本の都市化は、地方からの人口流入と産業構造の変化をもたらし、都市部に新たな貧困層を生み出しました。特に大正期から昭和初期にかけて、都市下層社会における不安定な雇用、劣悪な居住環境、失業などが野宿状態を生み出す温床となりました。この時期、都市における野宿者や困窮者は「浮浪者」と呼ばれ、社会秩序を乱す存在、あるいは排除・管理の対象として認識される傾向がありました。公的な対応としては、感化事業や救済事業が行われた一方で、治安維持の観点からの取り締まりも強化されました。
第二次世界大戦後の混乱期には、空襲による住居喪失、戦災孤児、引揚者など、多くの人々が野宿状態を余儀なくされました。この時期は緊急的な救済が中心でしたが、経済復興が進むにつれて、野宿状態は再び個人的な失敗や社会からの脱落と結びつけて語られることが多くなりました。
高度経済成長期には一時的に野宿状態の人が減少したとされますが、バブル崩壊以降の経済構造の変化、特に非正規雇用の拡大、雇用形態の不安定化、終身雇用制度の事実上の崩壊などが、再び野宿状態に陥る人々を増加させる構造的な要因となりました。失業、病気、高齢化、家族関係の破綻などが複合的に絡み合い、安定した住居を失う人々が増加しました。こうした状況下で、野宿状態にある人々は、都市の公園や河川敷などの公共空間を生活の場とせざるを得なくなりますが、これが新たな差別の温床となります。
影響と波及:排除の論理と法制度・福祉政策の限界
野宿者差別は、単に住宅がないという状態への同情や支援の欠如にとどまりません。彼らが都市空間において「見苦しい」「邪魔である」といった理由で排除され、仕事や公共サービスへのアクセスが困難になるなど、社会的なスティグマと構造的な排除が組み合わさって機能します。
法制度においては、例えば軽犯罪法が、正当な理由なく立ち入りを禁じられた場所に立ち入ることなどを処罰の対象としており、これが野宿者に対する間接的な排除に利用される可能性が指摘されてきました。また、公園法や各自治体の公園条例に基づく管理規則が、野宿状態にある人々の滞在を制限・排除する根拠とされることもありました。
福祉政策としては、生活保護制度が最後のセーフティネットとして存在しますが、申請の際の扶養照会や住居定置性の要件などが、野宿状態にある人々にとって利用のハードルを高くしているという批判があります。また、自立支援センターなどの一時的な宿泊施設や相談支援事業も展開されていますが、その規模や質は十分とは言えず、全ての野宿状態にある人々に適切に届いているわけではありません。
野宿者に対する社会意識は複雑です。一部には支援の動きや同情的な見方もある一方で、「自己責任」「怠惰」といったスティグマが根強く存在します。メディア報道においても、都市の「美観」を損ねる存在として描かれたり、犯罪と結びつけられたりするケースが少なくありませんでした。こうしたスティグマは、野宿状態にある人々が社会的な支援を求めたり、再び社会へ接続しようとする際の大きな障壁となります。
しかし、こうした状況に対し、野宿者の人権を擁護し、支援を行う市民運動やNPO、弁護士などの活動も歴史的に展開されてきました。これらの活動は、行政に対する働きかけや裁判を通じて、野宿者の居住権や生存権を認めさせるための重要な役割を果たしています。例えば、都市公園からの強制排除に対する反対運動や、生活保護申請の同行支援などが行われています。
分析と考察:排除構造の再生産とスティグマ
近代日本における野宿者差別は、都市の空間を管理し、社会的な規律を維持しようとする権力と、貧困や社会的な脆弱性に対する社会的なスティグマが交差する地点で発生しています。野宿状態にある人々は、生産活動から排除され、消費主体としても機能しにくいため、新自由主義的な経済システムにおいて「不要な存在」とみなされやすい構造があります。
また、野宿者に対するスティグマは、「努力不足」や「自己責任」といった言説によって強化され、構造的な貧困問題や社会保障制度の不備といった本来焦点を当てるべき課題を覆い隠してしまいます。これは、個人を非難することで、既存の社会構造の正当性を維持しようとする社会心理やイデオロギーの働きとして分析できます。
社会学的な視点からは、野宿者差別を、ゴフマンが論じた「スティグマ」の概念や、フーコーが分析した「規律権力」と「空間の管理」の関連、あるいはブルデューが提示した「象徴的暴力」や「ハビトゥス」といった概念を用いて深く理解することが可能です。野宿者というアイデンティティが、社会的に構築され、否定的な価値付けをされるプロセス、そしてそれが彼らの社会参加や自己肯定感に与える影響は、こうした理論的枠組みから考察できます。
さらに、野宿状態に至る背景には、ジェンダー、年齢、障害、疾病、あるいは特定の地域出身であることなど、他の属性に基づく差別や社会的な不利が複合的に関与している場合が多く見られます。野宿者差別は、他の差別の形態と切り離して論じることは困難であり、多様な脆弱性を抱える人々が社会の網から零れ落ちる構造そのものを問い直す必要があります。
まとめ:構造的課題の認識と未来への展望
近代日本における野宿者差別は、単なる個人的な問題ではなく、都市化、経済構造の変動、福祉制度のあり方、そして社会に内在する排除の論理とスティグマの生成・再生産といった、複合的な社会構造の課題が凝縮された問題です。
この事例から学ぶべき点は、特定の生活状態にある人々に対する無意識的な偏見や排除が、法制度や政策、そして社会意識によってどのように強化され、構造化されていくかという点です。また、こうした排除構造に対して、市民社会からの抵抗や支援活動が、人権保障と社会包摂のために不可欠であることも示されています。
今後、野宿者差別の解消に向けては、単に住居を提供するだけでなく、根本的な貧困対策、非正規雇用の是正、相談支援体制の強化、そして野宿状態にある人々に対する社会的なスティグマを解消するための啓発活動など、多角的なアプローチが求められます。これは、全ての人が尊厳を持って生きられる社会を構築するための、重要な課題であると言えます。